7月11日(土)こどもと大人のてつがくじかん(@犬山私立図書館)開催しました。
今回のテーマは「正しい」ことは「良い」ことなの? です。小学生から大人まで、総勢16人の参加です。
関西圏からわざわざ来てくださった方もいらっしゃいました。
数回目になる小学生兄弟が、犬てつの対話に少しづつ慣れてきて、考えを伝えて一緒に考えるのが楽しい!と思ってもらえたのか、コミュニティボールを握ってたくさんお話してくれたのが、とても印象的な回でした。
今回はこの小学生さんたちがまたきっと来てくれるんじゃないかと思って、
一つのぬいぐるみを用意してました。
犬てつでは「こどもと大人」の対話ということで、
「どなたでもご参加いただけます!」と言ってるものの、
せっかく足を運んでくれたこどもたちが
「わからない」と思ってるんじゃないだろうか。
聞いているだけでもOKと言っているから、話さなくても「聞いて参加している」ということに甘んじて、実はちょっと置いてきぼりにしてしまっているんじゃないだろうか。
そんなことがずっと気になっていました。
一方で、あえて話を促すのも違うだろうし、
結局は、話していないけどそれで十分に参加しているのか、
話したいけど話せない状態があるのかどうか、
様子を見ながらその都度判断していくしかないことだと思いつつ、
一度にいろんなことを考えたり判断したりしながら進行をするのは、
時にいっぱいいっぱいになりがちで、
何かできないかなとずっと課題に思っていました。
そして、今回、はりねずみさんのぬいぐるみを準備して、
スピードが早すぎるとか、
話したいのに話せないとか、
わからない言葉や内容があるとか、
何か置いてきぼりにされてしまっている状態のときに
このはりねずみを持ったり、進行役に渡したりすることによって
ちょっとトゲトゲした状態にあることを、
言葉を使わなくても可視化できるようなシステムを作ってみました。

権利を説くのに、権利が侵害されたときのことをセットに考えていないのはおかしい!!!
と声を大にして言う機会があったのですが、
それを自分にあてはめて考えてみて、
「誰でも参加できますよ」とか
「安心できる場」とか言っておきつつ、
居心地の悪い思いをしたときにSOSを出せるシステムを考えてなかったなという反省から、
一つの試みとしてやったものでした。
結果、今回は使われませんでしたが、
でも、これがあると私が少し安心できたので、
これからも使っていけるといいかなと思ったのでした。
結果、今回は使われませんでしたが、
でも、これがあると私が少し安心できたので、
これからも使っていけるといいかなと思ったのでした。

今回のテーマは「正しい」と「良い」についてです。
「正しい」は罰がセット、正解が一つ、強制力や圧力がある、手触り感がない、集団のためのもの
「良い」は気持ちに関わる、正解がいくつか、グラデーションがある、手触り感がある、自分の感性
といった違いがあるのではないかという話がでてきて、
なんだか「正しい」ってあんまりいい感じがしないかも、
という流れがあったのですが、
「良い」の経験を重ねることによって、
「正しい」の感覚が得られるのではないか、
という話も出てきました。
「良い」の方がいいんじゃないという流れがあったときに、
「いい人」でいたい上司をもったときに、
部下に注意したり、言うべきことを言ってくれなくて、大変な思いをしたという
私の経験も一つ話させてもらいました。
私はその上司に「正しい」ことをしてもらいたかったのかな?
どうなんでしょう。
対話が終わったあともいろんな考えが頭をめぐり、
「正しい」ことを言ったり、やったりするのは、
結構痛みを伴うものなのかも、とも。
そして、痛みを伴わず、誰かを従わせるために用いられる「正しさ」は
ひょっとして正しくないものかも....?
今回の募集文には村上春樹がエルサレム賞の授賞式で話したこの言葉を引用していました。
「もし、硬くて高い壁と、そこに叩きつけられている卵があったなら、私は常に卵の側に立つ。そう、いかに壁が正しく卵が間違っていたとしても、私は卵の側に立ちます。」
「正しさ」は大事だと思う一方で、
暴力性があることが気にかかっていたのですが、
考えるいろんなヒントをいただいたように思います。
ご参加いただいたみなさま、ありがとうございました。
次回は9月12日(土)です。
みなさまのご参加お待ちしています。
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by inutetsu
| 2026-07-14 23:09
| こどもと大人のてつがく対話




