犬山おやこてつがく(1)「虫の命と動物の命の大きさは同じか違うか」
2017年 06月 04日
犬山おやこてつがく(犬てつ)第一回目 開催しました♪
こんにちは。なないろおやこのミナタニです。さあ、いよいよ「犬てつ」のスタートです!
第一回目ということもあり、どれぐらい人が集まるか心配なところもありましたが、大人12人、子ども15人の、総勢27人にご参加いただきました。
第一部では神奈川県で活動するNPO「こども哲学・おとな哲学 アーダコーダ」さんの特別協力で、この秋公開予定の「こども哲学 ―アーダコーダのじかん―」を日本で初めての特別試写会!の予定が、Wi-Fiのつながりが悪く、急きょ第二部に予定していたてつがく対話を繰り上げて行うことに。
てつがく対話では、親子(小学生未満)と、小学生以上の二つのグループにわかれ、それぞれ進行役を三浦隆宏さん(カフェフィロ)、安本志帆さん(CLAFA)にお願いしました。
*****
親子グループでは、三浦さんから哲学対話についてのお話をまずはしていただき、その後は参加者から話してみたいことを聞くなかで、『親から子へ伝えることについて』がテーマとなりました。
親として子どもに何を教えたいと思っているか、どこまで親が見守るべきか、いい人と悪い人を見分ける勘はどうやれば養うことができるのかといった問いがでるなか、親にできることをやった上で子どもの身に何かが起こったとしてもそれは運命だという意見がとびだしたり、いろんな人と出会える体験を与えることが親の役割じゃないかといった話や、親が子どもに何かを教えるという前提はちょっと違うんじゃないか、一人の人間として子どもに教わることは多いという意見まで、様々な考えを共有する時間をもつことができました。
*****
一方のこどもてつがくでは、最初に台紙に毛糸をまきつけてコミュニティボールを作りながら、それぞれに自己紹介をしていきます。
そして、てつがく対話のルールとして、
1)お話しする人はボールをもつ。
2)ボールをもった友達の話は最後まで聞く。
3)話しをしてくれた友だちにダメ出しはしない。
4)最後まで話を聞く。
といった説明があり、本題に入ります。
「犬てつ」は犬!ということや、今は昆虫の活動が活発な季節なこともあり、『虫の命と動物の命の大きさは同じか違うか』というテーマを志帆さん(進行役も子どもたちも、自分が呼んで欲しい名前を先にみんなに伝えます)が考えてきてくれました。
「蚊は殺せるけど猫は殺せないのはどうして?」「バッタや蟻を触っていて殺しちゃったことってある?」という問いにはじまり、「悪い虫といい虫があるの?」という問いへ。「みみずは畑の土を良くしてくれるからいい虫」「蚊は人を刺すから悪い虫」「蛇は悪い」といった考えがこどもたちから出て来たところで、志帆さんからみんなに「頭を雑巾のように絞って考えてみて」と一層深い問いが投げられます。
「ミミズはいい、蚊は悪い、ヘビは悪い。それって誰から見て? 誰の基準? 同じ命なのに、どうして殺していいと悪いがあるの? いい命と悪い命があるの? 魚、牛、人間の命って一緒?」
子どもたちは頭をフル回転させながら、自分の考えをひきだします。「命は違う」派の子どもからは、「人間とカエルは言葉が違うから」という意見がでます。
「言葉が違うと命が違う?」「お話できるってことが命が違うか同じかっていう区別の仕方?」疑問はさらに膨らみます。同じか違うかでは比べようがないから、今度は重さで考えてみようという提案に、「命が違う」派の子どもたちからは「身体の大きい方が命は重い」という意見もちらほら。「命は同じ」派の子どもからは、「命には同じ価値がある。身体の大きさや重さが違っても命は同じ。」というきっぱりした意見もでてきました。
どちらが正しいかわからない問いに対して、一生懸命自分の考えをひっぱりだし、伝えようとする子どもたち。自分の身体からでてきた言葉にはその子なりの実感があり、お互いの意見は違っても、それぞれの考えをそれとして認めあう基盤がそこにはできていました。
最後のしめくくりに、志保さんから、
「学校で命の重さについて考える授業はないけど、ここはそういうことを考える場所。これからもいろんなことを考えていこうね」
という話があって、第一部は終了。子どもたちのなかにも「またやりたい」という気持ちが芽生えているようでした。
*****
休憩をはさんで、次はようやく映画の上映です。
アーダコーダさんが一年を通して、神奈川県にある自然豊かな場所を拠点に、4~6歳のこどもたちと「てつがく」する様子を収めたドキュメンタリー。
「考えるってどういうこと?」「宇宙と世界は何であるの?」「死んだら人はどうなるの?」「どうしてお金は必要なの?」といったテーマを、時間をかけて語り合う姿がとらえられています。自分のなかから答えを手繰りよせ、時には想像力を発揮させながら、正解のわからない問いに向き合う子どもたちの表情は真剣そのもの。大人たちは、そうした問いを積み重ねていく子ども達をそばで暖かく見守りながら、自分の価値観も問い直されていることに時に気づかされます。
質問ばかりして、きちんと自分の考えを話さない母親に対して子どもが突きつける言葉。「お友達もみんな考えてるけどママだけ考えてない! 考えるってすっごい大切なんだけど、そのことを今忘れています、そう思います!」その鋭さに、会場からも思わずわが身を振り返ってか、吐息混じりの笑いが漏れます。
てつがくとは、「共に」考える場であるという大事な本質を、身体でストレートに理解しているからこそでてくる言葉なのでしょう。てつがくを頭のなかだけで終わらせない工夫も、そこかしこに見受けられました。宇宙の話をした後は、実際に夜空の観測をする。スイカがでてくる紙芝居を見せる前には、スイカ割りを楽しむ。死の話は、古墳の山にハイキングで登ってする。そこでは死者が埋葬される土の感覚、霊魂が昇っていくかもしれない青く開けた空と海が、現実のものとして、子どもたちの足下と眼前に広がっています。
そうした自然のなかで培われた感覚は、考える基礎になる。五感、そしてときには想像力や直感の第六感もフルに作動してこそ、「てつがく」の場が開かれていくのだということを、子どもたちを通して大人にも伝えるような、そんな示唆にとんだ映画でした。
「てつがく」対話、本当に奥が深いです!
終了後にみなさんからいただいたアンケートにも、様々な気づきの言葉がしたためられていました。
回を重ねるごとに、どんな言葉が紡ぎだされていくことになるか。ともに、自らを、ひらく。そうした経験をこれからも積み重ねていきたいと思います。
さて、次の犬山おやこてつがくは少し時間が空いて、8月6日(日)に開催予定です!
詳細はまた後日お知らせしますので、楽しみにしていてください。
*****
【予告編】こども哲学 -アーダコーダのじかん-
https://www.youtube.com/watch?v=UTFwb80i7cs&feature=share
こんにちは。なないろおやこのミナタニです。さあ、いよいよ「犬てつ」のスタートです!
第一回目ということもあり、どれぐらい人が集まるか心配なところもありましたが、大人12人、子ども15人の、総勢27人にご参加いただきました。
第一部では神奈川県で活動するNPO「こども哲学・おとな哲学 アーダコーダ」さんの特別協力で、この秋公開予定の「こども哲学 ―アーダコーダのじかん―」を日本で初めての特別試写会!の予定が、Wi-Fiのつながりが悪く、急きょ第二部に予定していたてつがく対話を繰り上げて行うことに。
てつがく対話では、親子(小学生未満)と、小学生以上の二つのグループにわかれ、それぞれ進行役を三浦隆宏さん(カフェフィロ)、安本志帆さん(CLAFA)にお願いしました。
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親子グループでは、三浦さんから哲学対話についてのお話をまずはしていただき、その後は参加者から話してみたいことを聞くなかで、『親から子へ伝えることについて』がテーマとなりました。
親として子どもに何を教えたいと思っているか、どこまで親が見守るべきか、いい人と悪い人を見分ける勘はどうやれば養うことができるのかといった問いがでるなか、親にできることをやった上で子どもの身に何かが起こったとしてもそれは運命だという意見がとびだしたり、いろんな人と出会える体験を与えることが親の役割じゃないかといった話や、親が子どもに何かを教えるという前提はちょっと違うんじゃないか、一人の人間として子どもに教わることは多いという意見まで、様々な考えを共有する時間をもつことができました。
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一方のこどもてつがくでは、最初に台紙に毛糸をまきつけてコミュニティボールを作りながら、それぞれに自己紹介をしていきます。
そして、てつがく対話のルールとして、
1)お話しする人はボールをもつ。
2)ボールをもった友達の話は最後まで聞く。
3)話しをしてくれた友だちにダメ出しはしない。
4)最後まで話を聞く。
といった説明があり、本題に入ります。
「犬てつ」は犬!ということや、今は昆虫の活動が活発な季節なこともあり、『虫の命と動物の命の大きさは同じか違うか』というテーマを志帆さん(進行役も子どもたちも、自分が呼んで欲しい名前を先にみんなに伝えます)が考えてきてくれました。
「蚊は殺せるけど猫は殺せないのはどうして?」「バッタや蟻を触っていて殺しちゃったことってある?」という問いにはじまり、「悪い虫といい虫があるの?」という問いへ。「みみずは畑の土を良くしてくれるからいい虫」「蚊は人を刺すから悪い虫」「蛇は悪い」といった考えがこどもたちから出て来たところで、志帆さんからみんなに「頭を雑巾のように絞って考えてみて」と一層深い問いが投げられます。
「ミミズはいい、蚊は悪い、ヘビは悪い。それって誰から見て? 誰の基準? 同じ命なのに、どうして殺していいと悪いがあるの? いい命と悪い命があるの? 魚、牛、人間の命って一緒?」
子どもたちは頭をフル回転させながら、自分の考えをひきだします。「命は違う」派の子どもからは、「人間とカエルは言葉が違うから」という意見がでます。
「言葉が違うと命が違う?」「お話できるってことが命が違うか同じかっていう区別の仕方?」疑問はさらに膨らみます。同じか違うかでは比べようがないから、今度は重さで考えてみようという提案に、「命が違う」派の子どもたちからは「身体の大きい方が命は重い」という意見もちらほら。「命は同じ」派の子どもからは、「命には同じ価値がある。身体の大きさや重さが違っても命は同じ。」というきっぱりした意見もでてきました。
どちらが正しいかわからない問いに対して、一生懸命自分の考えをひっぱりだし、伝えようとする子どもたち。自分の身体からでてきた言葉にはその子なりの実感があり、お互いの意見は違っても、それぞれの考えをそれとして認めあう基盤がそこにはできていました。
最後のしめくくりに、志保さんから、
「学校で命の重さについて考える授業はないけど、ここはそういうことを考える場所。これからもいろんなことを考えていこうね」
という話があって、第一部は終了。子どもたちのなかにも「またやりたい」という気持ちが芽生えているようでした。
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休憩をはさんで、次はようやく映画の上映です。
アーダコーダさんが一年を通して、神奈川県にある自然豊かな場所を拠点に、4~6歳のこどもたちと「てつがく」する様子を収めたドキュメンタリー。
「考えるってどういうこと?」「宇宙と世界は何であるの?」「死んだら人はどうなるの?」「どうしてお金は必要なの?」といったテーマを、時間をかけて語り合う姿がとらえられています。自分のなかから答えを手繰りよせ、時には想像力を発揮させながら、正解のわからない問いに向き合う子どもたちの表情は真剣そのもの。大人たちは、そうした問いを積み重ねていく子ども達をそばで暖かく見守りながら、自分の価値観も問い直されていることに時に気づかされます。
質問ばかりして、きちんと自分の考えを話さない母親に対して子どもが突きつける言葉。「お友達もみんな考えてるけどママだけ考えてない! 考えるってすっごい大切なんだけど、そのことを今忘れています、そう思います!」その鋭さに、会場からも思わずわが身を振り返ってか、吐息混じりの笑いが漏れます。
てつがくとは、「共に」考える場であるという大事な本質を、身体でストレートに理解しているからこそでてくる言葉なのでしょう。てつがくを頭のなかだけで終わらせない工夫も、そこかしこに見受けられました。宇宙の話をした後は、実際に夜空の観測をする。スイカがでてくる紙芝居を見せる前には、スイカ割りを楽しむ。死の話は、古墳の山にハイキングで登ってする。そこでは死者が埋葬される土の感覚、霊魂が昇っていくかもしれない青く開けた空と海が、現実のものとして、子どもたちの足下と眼前に広がっています。
そうした自然のなかで培われた感覚は、考える基礎になる。五感、そしてときには想像力や直感の第六感もフルに作動してこそ、「てつがく」の場が開かれていくのだということを、子どもたちを通して大人にも伝えるような、そんな示唆にとんだ映画でした。
「てつがく」対話、本当に奥が深いです!
終了後にみなさんからいただいたアンケートにも、様々な気づきの言葉がしたためられていました。
回を重ねるごとに、どんな言葉が紡ぎだされていくことになるか。ともに、自らを、ひらく。そうした経験をこれからも積み重ねていきたいと思います。
さて、次の犬山おやこてつがくは少し時間が空いて、8月6日(日)に開催予定です!
詳細はまた後日お知らせしますので、楽しみにしていてください。
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【予告編】こども哲学 -アーダコーダのじかん-
https://www.youtube.com/watch?v=UTFwb80i7cs&feature=share
by inutetsu
| 2017-06-04 23:38
| 子どもと大人のてつがく対話