犬山おやこてつがく(3)「勉強」
2017年 09月 17日
9月17日(日)犬てつ 第3回目 開催しました♪
今回からは、「こども×大人×てつがく」ということで「おやこ」に限定しない、子どもだけ、大人だけ、親子で、友達と、といったいろんな参加を受け付けるようにしました。
「犬てつ」は子どもに考える力をつけてもらいたいという思いとともに、大人も同じく子どもとともに考えていきたいと思っています。目指すところは、大人と子どもが一緒の輪になって、お互いの意見に触発されながら、対話を重ねること!!ですが、まだまだ対話の経験が浅い子どもたちにまずは慣れてもらおうと、今のところは大人と子ども別々の対話に比重を置いています。
今回の進行役は、第一回目と同じく三浦隆宏さんと安本志帆さん。
参加者はリピーターとはじめての方が半々の構成です。
6月に行った第一回目では映画上映も行ったので、時間の関係から大人と子ども別々の対話だけでしたが、今回からは大人と子どもを交えての対話も徐々に行おうと、大人と子どもの合同と別々とを組み合わせた三部構成をとることにしました。
1)自己紹介も兼ねた合同タイム
2)共通テーマについての大人、子ども別々タイム
3)出てきた意見を共有する合同タイム
*****
1)ではまず、みんなが輪になって、呼んでもらいたい名前と、「生まれ変わったら人間以外では何になりたい?」という問いに答えていきます。
はじめての子どもたちは大人の前で話すということにも、こんな問いに自由に答えることにも慣れていないためか、しょっぱなから黙り込む子どもが続出し、なんとか名前を言うだけで精一杯な様子。大人からは「イカ」や「カンガルー」、「牛」、「雲」といった興味深い話がでてくるなか、子どもたちのなかには緊張が漂っています。でも、一分くらい黙りこんでしまった子がいても、みんなが待つということを共有していく経験は、子どもにとっても、ついつい答えを急いてしまう大人にとってもちょっとした通過儀礼的な意味があるかもしれません。子どもの方からも「ペンギン」、「馬」といった言葉も出てきて、少しずつではありますが、話し、聴く場が紡がれていきました。
*****
2)では子どもと大人が部屋を分かれて、「勉強」という共通のテーマで対話を進めます。
大人の方は三浦さんの進行で、勉強に関連してそれぞれに出てきた話題から、多数決で一つの問いを決めるところからはじました。
・嫌いなものも勉強しないといけないのか
・勉強にタイミングはあるか
・勉強に順位は必要か
・勉強の目的とは
・学校の勉強は必要か
・勉強と学びはどう違うか
・勉強をまじめにやるのは格好悪いか
・自分の子どもに勉強させるか
・宿題を子どもにまかせるか
このなかから、一人何票でも入れていい多数決で決まった問いは、「勉強と学びはどう違うか」です。問いが決まった時点ですでに残り10分しかありませんでしたが、そのなかでも様々な意見が飛び交いました。
勉強=押しつけられるもの、社会的なもの、知識を得るもの、職業や可能性を開く手段、宿題も与えられた課題をこなすことを覚えるもの
学び=自分のなかに入ってくるもの、内部にあるもの、楽しいもの、経験するもの、人生を豊かにするもの、終わりが見えないもの
てつがく対話では、最終的に意見を一つに集約するようなことはしません。時間がきたら、それで終了。人の意見に耳を傾け、自分の考えと照らし合わせ反芻するなかで出てきた疑問や考えを、各自がそれぞれ持ち帰ります。
*****
休憩をはさんで、3)では大人と子どもで別々に話しあった内容を共有します。最初の合同タイムの水をうった静けさとは違い、生き生きとした表情で別々タイムを終えた子どもたちの様子をみて、どんな話をしたのか、大人は聞きたくてたまりません。
ところが、発表する気満々でメモ書きまで作っていたという子どもたちですが、大人と合同になった途端、恥ずかしさが先に立ってかテンションが下がり、誰も発表しようとはしません。代わりに志帆さんがまとめることになりました。
最初は、学校の教科(算数、国語など)が「勉強」だと考えていた子どもたち。でも、公文とかそろばんとかの「習い事」もしているよ、という話から、習い事だと「体操」もしているよ、という話に発展。じゃあ、どこからが勉強でそうじゃないのか、そのラインを考えてみようということに。そこででてきたのが「勉強」と「遊び」という区分のようです。
ここでも体操が判断の基準になって、体操は「遊び」だという子どもが4人、「勉強」だという子が2人、どっちもだという子が4人、どっちでもないという子が6人という結果に。
はじめは「学校の勉強」だけが「勉強」だと言っていた子どもたちが、体操の話をきっかけにだんだんと勉強の幅が広がり、最終的にはレゴとかの「遊び」も「勉強」になるというところにまで話が広がっていったようです。さらには、何のために「遊ぶ」のかという話では、疲れていることや、悩んでいることをなくすために遊ぶんだ、という意見もでてきたようで、これには大人たちも少なからず考えさせられます。
*****
子どもと大人が話した内容の共有が終わって、それぞれに感想や意見を出し合って終了です。
子どもは「学び」という言葉や概念をまだ知らないだけで、大人が「勉強」と「学び」の違いを考えたのと同じように、「勉強」と「遊び」について考えていた、そして、「遊び」という言葉を通して、「学び」の概念に近づいているのだなということを、期せずして大人と子どもが共通の問いを選び取ったことによって、子どもから大人へのプロセスのようなものが垣間見えるような気がしたという志帆さんの感想には、納得させられるものがありました。
また、あんなに静かだった子どもたちから別々になった途端にこれだけの言葉がでてきたことに驚きながら、子どもと大人の対話が融合できていくと面白いことになりそうだ、という三浦さんの言葉にも励まされ、まだまだ道のりは遠そうですが、子どもと大人の対話に向けて、回を重ねていきたいと思います。
子どもは経験も知識も語彙も少ないですが、大人に比べてはるかに濃密で繊細な時間を生きています。その世界に、共通の「言葉」を介して触れることは、大人にとっても、自身の経験や言葉、感覚を見直すまたとない機会だと思います。
そして、もしかしたら、まだてつがく対話慣れしていない子どもたちの、言葉と身体がもじもじと一体化している今の状況は、この時期にしか見られない、とても貴重なものかもしれないなどと密かに思ったりもしています。
今回は台風の接近にひやひやした回でしたが、無事開催できて良かったです。しばらくの間は大人と子どもの1)合同、2)別々、3)合同方式を取りながら進めていってみようと考えています。
ご参加いただいたみなさま方、ありがとうございました。
(文・ミナタニ)
今回からは、「こども×大人×てつがく」ということで「おやこ」に限定しない、子どもだけ、大人だけ、親子で、友達と、といったいろんな参加を受け付けるようにしました。
「犬てつ」は子どもに考える力をつけてもらいたいという思いとともに、大人も同じく子どもとともに考えていきたいと思っています。目指すところは、大人と子どもが一緒の輪になって、お互いの意見に触発されながら、対話を重ねること!!ですが、まだまだ対話の経験が浅い子どもたちにまずは慣れてもらおうと、今のところは大人と子ども別々の対話に比重を置いています。
今回の進行役は、第一回目と同じく三浦隆宏さんと安本志帆さん。
参加者はリピーターとはじめての方が半々の構成です。
6月に行った第一回目では映画上映も行ったので、時間の関係から大人と子ども別々の対話だけでしたが、今回からは大人と子どもを交えての対話も徐々に行おうと、大人と子どもの合同と別々とを組み合わせた三部構成をとることにしました。
1)自己紹介も兼ねた合同タイム
2)共通テーマについての大人、子ども別々タイム
3)出てきた意見を共有する合同タイム
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1)ではまず、みんなが輪になって、呼んでもらいたい名前と、「生まれ変わったら人間以外では何になりたい?」という問いに答えていきます。
はじめての子どもたちは大人の前で話すということにも、こんな問いに自由に答えることにも慣れていないためか、しょっぱなから黙り込む子どもが続出し、なんとか名前を言うだけで精一杯な様子。大人からは「イカ」や「カンガルー」、「牛」、「雲」といった興味深い話がでてくるなか、子どもたちのなかには緊張が漂っています。でも、一分くらい黙りこんでしまった子がいても、みんなが待つということを共有していく経験は、子どもにとっても、ついつい答えを急いてしまう大人にとってもちょっとした通過儀礼的な意味があるかもしれません。子どもの方からも「ペンギン」、「馬」といった言葉も出てきて、少しずつではありますが、話し、聴く場が紡がれていきました。
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2)では子どもと大人が部屋を分かれて、「勉強」という共通のテーマで対話を進めます。
大人の方は三浦さんの進行で、勉強に関連してそれぞれに出てきた話題から、多数決で一つの問いを決めるところからはじました。
・嫌いなものも勉強しないといけないのか
・勉強にタイミングはあるか
・勉強に順位は必要か
・勉強の目的とは
・学校の勉強は必要か
・勉強と学びはどう違うか
・勉強をまじめにやるのは格好悪いか
・自分の子どもに勉強させるか
・宿題を子どもにまかせるか
このなかから、一人何票でも入れていい多数決で決まった問いは、「勉強と学びはどう違うか」です。問いが決まった時点ですでに残り10分しかありませんでしたが、そのなかでも様々な意見が飛び交いました。
勉強=押しつけられるもの、社会的なもの、知識を得るもの、職業や可能性を開く手段、宿題も与えられた課題をこなすことを覚えるもの
学び=自分のなかに入ってくるもの、内部にあるもの、楽しいもの、経験するもの、人生を豊かにするもの、終わりが見えないもの
てつがく対話では、最終的に意見を一つに集約するようなことはしません。時間がきたら、それで終了。人の意見に耳を傾け、自分の考えと照らし合わせ反芻するなかで出てきた疑問や考えを、各自がそれぞれ持ち帰ります。
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休憩をはさんで、3)では大人と子どもで別々に話しあった内容を共有します。最初の合同タイムの水をうった静けさとは違い、生き生きとした表情で別々タイムを終えた子どもたちの様子をみて、どんな話をしたのか、大人は聞きたくてたまりません。
ところが、発表する気満々でメモ書きまで作っていたという子どもたちですが、大人と合同になった途端、恥ずかしさが先に立ってかテンションが下がり、誰も発表しようとはしません。代わりに志帆さんがまとめることになりました。
最初は、学校の教科(算数、国語など)が「勉強」だと考えていた子どもたち。でも、公文とかそろばんとかの「習い事」もしているよ、という話から、習い事だと「体操」もしているよ、という話に発展。じゃあ、どこからが勉強でそうじゃないのか、そのラインを考えてみようということに。そこででてきたのが「勉強」と「遊び」という区分のようです。
ここでも体操が判断の基準になって、体操は「遊び」だという子どもが4人、「勉強」だという子が2人、どっちもだという子が4人、どっちでもないという子が6人という結果に。
はじめは「学校の勉強」だけが「勉強」だと言っていた子どもたちが、体操の話をきっかけにだんだんと勉強の幅が広がり、最終的にはレゴとかの「遊び」も「勉強」になるというところにまで話が広がっていったようです。さらには、何のために「遊ぶ」のかという話では、疲れていることや、悩んでいることをなくすために遊ぶんだ、という意見もでてきたようで、これには大人たちも少なからず考えさせられます。
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子どもと大人が話した内容の共有が終わって、それぞれに感想や意見を出し合って終了です。
子どもは「学び」という言葉や概念をまだ知らないだけで、大人が「勉強」と「学び」の違いを考えたのと同じように、「勉強」と「遊び」について考えていた、そして、「遊び」という言葉を通して、「学び」の概念に近づいているのだなということを、期せずして大人と子どもが共通の問いを選び取ったことによって、子どもから大人へのプロセスのようなものが垣間見えるような気がしたという志帆さんの感想には、納得させられるものがありました。
また、あんなに静かだった子どもたちから別々になった途端にこれだけの言葉がでてきたことに驚きながら、子どもと大人の対話が融合できていくと面白いことになりそうだ、という三浦さんの言葉にも励まされ、まだまだ道のりは遠そうですが、子どもと大人の対話に向けて、回を重ねていきたいと思います。
子どもは経験も知識も語彙も少ないですが、大人に比べてはるかに濃密で繊細な時間を生きています。その世界に、共通の「言葉」を介して触れることは、大人にとっても、自身の経験や言葉、感覚を見直すまたとない機会だと思います。
そして、もしかしたら、まだてつがく対話慣れしていない子どもたちの、言葉と身体がもじもじと一体化している今の状況は、この時期にしか見られない、とても貴重なものかもしれないなどと密かに思ったりもしています。
今回は台風の接近にひやひやした回でしたが、無事開催できて良かったです。しばらくの間は大人と子どもの1)合同、2)別々、3)合同方式を取りながら進めていってみようと考えています。
ご参加いただいたみなさま方、ありがとうございました。
(文・ミナタニ)
by inutetsu
| 2017-09-17 23:32
| 子どもと大人のてつがく対話