こども哲学 実践WS(5)会話と対話の違いは何か
2018年 10月 18日
10月16日(火)「子どもてつがく 実践ワークショップ(5)」 開催しました♪
Vol.5 会話と対話の違いは何か
講師・進行 安本志帆さん
参加者 11名
対話をしながら、対話のあり方についても考える。
今回も濃縮した時間となりました。
テーマは「会話と対話の違いは何か」。
会話と対話の違いは何となくあるような気はしても、
あまり言語化して考えたことはありません。
まずは会話と対話の違いや類似点で、それぞれに思うことを挙げていきます。
―会話は雑談のイメージ
―話す人が偏った不公平感がある
―会話にも対話的になる会話とそうでないものがある。
(両方に聴く耳があると対話になる。アンバランスになると会話になる)
―会話は共感を求めていて、反論はあまりしない
―会話はママのお茶会的で、リーダーの顔色をみながら話さないといけない強制力がある
―価値観を尊重しあった対等な関係でするのが対話
―対話は一つのテーマに沿って話す。話を変えない。
―会話は浅くて、対話は深い
―会話は誰とでもできるけど、対話は相手に興味がないとできない
―会話は砂山の縁をすくっている感じだけど、対話はその上の棒を取りに行く感じ
こうした考えを出し合った後で、
じゃあ、「対話」をしてみようということで、
志帆さんが出したテーマは「幸せ」。
これは、志帆さんが最近やったばかりの対話のテーマで、
そのときにでてきたのが、
「不幸な境遇の人(病気の人や障害の人など)と比べたときに、自分は幸せと思える」
という話だったそうです。
今回はその話の続きをします。
今日考えるポイントは、
・参加者の一人として話すこと(参加者の目線)
・進行役として対話を見る(俯瞰したところからの視点)
の二つです。
対話の内容はそれぞれの実感のこもった、とてもセンシティブなところにも関わる話となりました。本人の口から語られるのはいいけれど、他人が言葉として書き留めるのはちょっとためらわれるような、その場だからこそ漏れ出たような話がたくさんあったので、今回は詳しい内容はおいておき、もっぱら進行役としての話をみていこうと思います。
前回のWSの個性とスキルの話にもありましたが、
今回の志帆さんの進行役のモードは、
・積極的に問いを投げかけ、
・曖昧な論点をより具体化させ、
・論点を整理し、
・別の視点を与えるような、
深堀りスタイルとでもいった感じで進みます。
たとえば、問いの投げかけ。
―幸せも不幸せも人と比較することのなかにしかないのはうーん、と思う。
Qそのうーん、をもう少し言葉にすると?
―それっておかしいというか、そうじゃないところに行きたい。
Qそうじゃないところって?
―比べてじゃなくて、自分のなかの基準で考えたい。
Q比較しない自分の方が幸せに思う?
―そう思う。
―比較せずに幸せと思うときは、深呼吸したときとか、当たり前にあることに意識が向いたときに幸せと思う。
―友達と楽しい時間を過ごした帰りに身体がじわーっとあったかくなって、涙がでてくるぐらいの気持ちになった。
Qじわーっとなったというのは、何によってそれがもたらされましたか?
―特に出来事があったわけではなくて、自分でも不思議だったのだけど、自分が愛されていたり、受け入れられているということを急に感じた。
Q比較して幸せと思ったときはある?
―身体の具合が悪そうな人を見ると、幸せというか、自分はありがたいかなと思う。
1)幸せを比較で測るというと意見
2)身体的な感度で感じるという意見
さらに、そこから問いを発展させ、
「比較」から派生する別の視点を投げかけます。
Q人と比べて優劣をつけることと、人と比べることによって、今の自分がわかることとは並列ではないような気がします。人と比べるとネガティブな感じがあるのは、そこには何があると思いますか?
―罪悪感?後ろめたさ?
―人と比べることは悪いことだと教えられ続けてきた(すりこみ)
―その人が不幸かどうかはわからないから、自分の思考のなかでの評価にすぎない
―人と比べて上下をつけなければ、比べること自体は自分を知る上でも重要。ネガティブな要素はあまりない。
―人は比較をし続けて生きている。
―比較は上下ではなく、違うということ。
―でも、ネガティブな感情の比較もある。
―他人との比較をすることで、そこから社会がはじまる。他者がなければ自分の過去との比較になる。過去に戻りたいと思うと、今ある自分の障害を受け入れられなくなることがある。他人と比較することが社会に入る第一歩かも。
―障害がなくて良かったと思うのは上下なのか?
といったような論点がでてきたところで、対話は一旦終了。
「幸せ」のテーマは、「比較」の問題から、
「社会」、そして「障害」に向けての別の問いへと開けていき、
新たな視座が目の前に広がり行くのを実感することになりました。
*****
次いで、ひとつ目線をあげて、
今日の「対話」は「会話」と何が違ったかを考えます。
Q対話する態度として、どう会話と違ったか。
Q参加者が会話じゃなくて対話だったと感じてもらうためには、進行役としてどういう心がけが必要か。(会話になりそうだったら対話に引き戻さなくてはいけなくて、そこはどういうところか?)
―普通の会話ではほわっとしてたり、抽象的だったりする言葉がでてくるが、対話では進行役はそれをもう少し詳しく聞く
―自分のなかの漠然とした感覚をずばりと要約してくれた(聴いてもらった、受け入れてもらったという実感がうまれた)
―いくつか出てきた論点を整理した
―個々のエピソードのなかから共通したり違ったりする問題点をまとめる
―何の話をしているかをわかりやすく提示しなおす
―質問されることによって、言葉や考えの足りなさがわかる。自分でも考えるし、他の人の意見によって考えが深まる
―抽象度の高い話がでてきたときに、質問をすることによって、どこの視点から見ているか参加者の間で共通認識が生まれる
―何の抵抗もなく、コンフリクト(対立)する話ができることが大事。違う意見によって話が深まるというのが対話の醍醐味。異なる意見を言えば言うほど場の信頼が深まる
Q この場を作るためには何が必要だと思う?
―私にはそんな進行はできない。頭のいい人ができるんだろうな。
と、まずはとっても素直な意見。
気負わず発せられるこうした言葉に、いつも場がほぐされます。
―前に出た意見を覚えていて、新しく出てきた意見につなげてくれる。自分の考えにはまっているとそうしたことはできないが、ひとつ上のところから見ている。
―聴く力。わかりやすく説明する力。
―考えているうちに他の意見が入り、話が少しづつずれていくのでついていけないところがある。参加者としてはそれでOKだけど、進行役は自分の考えは横に置き、進行役に徹する、まぜない。
そして、志帆さんからはこんな意見が。
―進行役も参加者となることがあるけど、失敗するときもある。進行役として場の交通整理に徹する人もいるし、参加者として参加する人もいるし、進行役だけど、長いリードをもっているだけで、場の人にほとんど委ねている人もいるし、人によってスタイルが違う。でも、政治とか、テーマによっては、話し手の思い入れが強く、場が熱くなってしまう場合などは、進行役が仕事をしないといけないようにと思う。参加者が冷静でいられるときは場に任せてもいいかもしれないが、白熱しすぎる場とかでは必要かも。対立が起こった時に、感情的なところにならないように気を付ける。思想の上に気持ちをのっけてぶっつけるのではなく、事実を事実として話される状況がベストかと思う。
Qこれが子ども相手の進行だとどうか? 大人はある程度経験もあるし、コンフリクトがあっても深まっていると思えるが、子どもはケンカだと思うかも。そういうときにはどうすればいいか。
―子どもは大人の雰囲気を察知するので、対立したときは両者の意見を肯定する。
―一人一人を尊重することがベースにある。
―対立することが素晴らしいという価値を意識して、それ素晴らしいよねということをみんなの前で伝えることが重要。対立したことを言う勇気を認める。意見として素晴らしい。意見が違うのはそれは素晴らしいことを伝える。
子どもが相手の場合は特に、言葉を書き留めておくことの重要さも指摘されます。
―子どもとのときはホワイトボードに出てきた言葉を漏らさず書くようにしている。言葉尻だけにとらわれることがあるので目で見て理解できるようにすると話が進みやすいかも。低学年の子だと対話に集中して、場を身体で感じているのであまり読まないかも。絵とかの方が伝わるかも。
―書いてもらうと認めてもらえた感じが強まることもある
―進行役として書く作業を入れると対話の集中が減ることがあるが、書き留めておくことで、後からでてきた意見とのつながりが明確になることがある。
そして、最後に何よりも重要なこととして挙げられたのは、
対話に参加している子たちよりも、参加していない子たちとの関わりについて。
―対話に参加している子たちはすでに対話をしているのだからOKだけど、対話に入ってきてない子たちが気になる。子どもの場合は、大人と違って自分の意志で参加しているというよりは、大人に連れてこられていることも多いので、まずは受け入れてもらう必要がある。でも、気にかけていると、対話の輪に入らず、外にいるような子たちと目があったりする。気にしているんだよということを、ノンバーバルな仕方で伝えることがとても重要ということでした。
*****
今日もめいっぱい考えたので、
頭が心地よい疲労感に包まれて、
みんなでチョコレートを食べて糖分補給しながら対話を進めていきました。
対話とメタ対話の両方を一緒に行えるというのは、とても贅沢な時間です。
実際の対話を通して、これまでの回にも話しがあったポイントが反復的に思い出されて、少しづつ身に沁みて感じられます。
今回の大人と子どもの進行役の違いについては、
次々回の「子どもと大人の違いはあるのか」にもつながってくる話でしょう。
さあ、次回は11月20日(火)となります。
テーマは「対話における場の安全性とは何か」
みなさまのご参加お待ちしております。
(犬てつ ミナタニ)
by inutetsu
| 2018-10-18 12:38
| 「こども哲学」進行役 実践WS