子ども哲学進行役 実践ワークショップ(11)
2019年 06月 20日
6月18日(火)「子ども哲学進行役 実践ワークショップ(11)」開催しました♪
1)参加者が進行役をつとめる哲学対話
2)メタ哲学対話
3)当事者研究を考える(1)
講師 安本志帆さん
参加者 12名
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こんにちは、犬てつのミナタニです。
今回のワークショップは4時間強に及ぶ長丁場となり、対話も白熱。
とても追いきれない内容なので、できるだけかいつまんでのレポートにします。
といっても、長いかも...
今回は事前に参加者から進行役希望者を募り、哲学対話を行います。
名乗りを挙げてくれた進行役のMさんが選んだテーマは次の三つでした。
Mさんがどうしてそれぞれのテーマが気になっているかもあわせ、それぞれのテーマを選んだ理由を説明します。
・学校 何のために(学校は本当に楽しいところなのか? 学ぶためだけに行ってるのか?)
・男らしさ(女性よりも男性の犯罪率が高いという記事を読んだ。男性の方が生きづらい世の中? ジェンダーロールに縛られている? それを考えるのが女らしさにもつながる)
・生きること(生死は一緒にあるもの。死を考えるときには、生についても考えておかないと)
この三つのテーマが気になるけど、絞りきれないので、参加者に選んでほしいというとこからスタート。
多数決ですかね?という意見もでますが、まずは質問やテーマについての感想がでます。
・生きづらさを男らしさと結びつけたことはあまりなかったので、面白い視点。
・女性の方なのに、男らしさのテーマを選んだのはどうして? なぜ女性なのに男性の問題を考えたの?
・男らしさのなかに、生きづらさということで「生きること」のテーマもあるし、学校教育の問題も入ってるし、全部のテーマがつながっているようにも思える。
ここでどうやってテーマを決めるのかがわからなくなって、志帆さんにヘルプ!
志帆さん:哲学対話は問いだしで終わっていいので、すでに対話的になってきているので、テーマを無理に決めるのではなく、そのまま話を続けてみればいいんじゃないですか。対話的な問いがでてきているので、この流れを切るのはもったいない。
ということで、テーマを絞るのではなく、このまま対話を続けることに。
学校の話を中心としながら、カテゴライズされることへの違和感、生きる上で学校で教わるべきことは何か、といった話題が次々とでてきました。
とても考えさせられる話題がいっぱいだったのですが、
内容はすみません、略します...
Mさんは途中自分の意見を挟みながらも、
場の方から矢継ぎ早にでてくる意見をホワイトボードにまとめるので精いっぱい。
あれよあれよという間に1時間が経過して終わりの時間になりました。
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休憩を挟んで、次はこの哲学対話を振り返ってのメタ哲学対話。
まずは進行役をつとめたMさんから感想です。
―書きとめるのに精いっぱいで、進行がやりきれなかった。でも、どの言葉も大事で書き留めておきたかった。みなさんの力を借りたなという気がした。ありがとうございました。 志帆さんから質問が投げかけられます。
Q 進行役として良かったと思うところはどこですか?
―いろんな意見がでやすい雰囲気にはできたかな。
Q 反省点はありますか?
―聞く力が自分にないのを痛感した。気になっているフレーズが次から次に来るので、理解せずに進んでいる感じがした。一人ひとりの発言に対して掘り下げることがあまりできなかった。
Q 掘り下げられなかったとしたら、どうしてそうなったと思いますか?
―自分が聞いて考えてということが、スピードが追いつかない気がした。自分の頭がついていかない。こういう練習をもう少ししていったら、もっと聴けるようになるかな。
Q 対話のスピードについて、みなさんどう思いますか?
―話しやすい雰囲気があると、話がどんどん出てきやすい。進行役によって、場にまかせてほとんど何もしない進行役と、ちょっと待ってと話をとめて交通整理をする進行役がある。どちらも一長一短では。
―スピードが速かった感覚はなくて、いろんなトピックがでてきて、場に任せてくれてる感じがあった。でも、交通整理がないので、今、自分はどこに立っているんだろうとわからなくはなった。でも、みんなが同じ状況で、それをほぐそうとしてくれているので、一つでた意見で場がぐんと深まることがあった。
―今回は対話した気があまりしなかった。3つのテーマが自分にとって意固地になるくらいこだわりのあるテーマだったので、気をつけないと対話じゃなくて議論になると思った。入ってくる意見も自分や経験が否定されているような気持ちになったりして、そうじゃないと自分のなかでの交通整理をしていて苦しかった。いつもだったらもっとジャッジしないで聞けるのに、今回はジャッジしてしまっていた。
―Mさんがいつも参加者としている在り方と、進行役としての在り方が同じで、経験に根差した熱い想いがにじみ出ていて、場とともにある感じがベースにあってよかった。
Q 褒められてばかりですが、何か批判はありませんか?
Mさん:意見が出ないかなと思ったときに、自分が話しすぎたように思う。自分の意見を言ったのが良かったのか、悪かったのかわからない。途中、志帆さんに話しているな、と思ったときがあった。志帆さんの評価を気にしている自分がいた。なるべく捨てようと思ったけど、評価というか、助けて、という気持ちがあった。場の人からも助けてもらうような発言もたくさんあった。
志帆さん:私の顔を見て話す人が多かった。Mさんが「うん、うん」と声を出すときは、そっちを向く。声を出すって大事だなと思った。
―沈黙がなかった。立て板に水のような状態で話が続いていった。
Q 沈黙がないとはどういうことだと思いますか?
―考える時間がないということ。その時々に思いついたことをポンポンと言っていたのかな。
Mさん:沈黙が怖い。沈黙になったらどうしよう、と半分くらい思っている。そこにどう向き合っていけばいいのかな。どれくらいなら待ってもいいのか。
―今ここを考えたいから「ちょっと待って」という声がけがあってもいいかも。
Q 沈黙を人工的に作るのではなく、自然に沈黙が生まれるのはどうすればいいか?
―この話はどこに向かっているんだろう?という感覚はあって、まとめる必要はないけど、たくさんの意見が乱立してるので、どこに向かっていきましょう、というのを場に聞いてくれてもよかったかも。
―今日は進行役より場の力の方が強くて進行役が流されていた感じがあるので、場に聞いてしまってもよかったのでは。哲学カフェにはエネルギーをもってる人が参加することがとても多いので、そうした場合なども場に聞く方法はとても有効。「何を考えたいですか」と一回確認してもいいかも。聞かれないから探り合いになってた。それでもいいけど、確認することも有効。
私がその手法をとらないのは、わからないことがあれば一々聞くから。その過程で、なんとなくこっちの方向なんだなということを、その都度探りながらやって、道筋を作っている。
たとえば、「国には大人が子どもを教えるというシステムがあって、それのおかしさに気づかないところに問題がある」という意見がでたときに、うんうん、ということでその話は終わって済んでしまったけど、たとえば私だったら「おかしさって何ですか?」と聞いたはず。その「おかしさ」という話からの連想で、「女らしい」とか、「カテゴライズされているおかしさ」「学校教育のおかしさ」から、「制服がおかしい」と矢継ぎ早に話がでてきたけど、この「おかしさ」って何だろうと私はずっと思っていた。私だったら多分そこで聞いた。おかしさって何ですかって聞いたら、一旦スピードは弱まる。
―私の言った「おかしさ」がみんなの引き金になったとは気づいてなかったので、逆に私は自分の話題がスルーされたというくらいの感覚だった。みんなそれをおかしいと思わないのかなと思って、話題が移っていった感覚。
Mさん:ずっとその話題はひっかかっていたので、そこは深めてよかったのかも。
―あとは女らしさ、男らしさの話はいっぱいされてたけど、「らしい」って何だろうということは問われなかった。「学校教育は社会教育につながって、ふるまいが要求されている」という話があったときに「ふるまう」って何だろう?とか。その問いをみんなで考えることによって、考える時間ができたり、今、こういう問いをみんなで共有しているんだな、ということがわかり、それが「探求の共同体」の営みにつながるのかな。
それと、学校が悪いという前提で話がされていて、いいという話がほとんどなかった。話が偏ってきているときに、進行役として、本当に学校って悪いのかな、という視点をもちこむのが哲学的といえるのかも。みんなが同じ方向を向いているときに、違う視点を持ち込むのは進行役の仕事かな、と私は思っている。
―自分が進行役をやるときは、あらかじめ自分の考える意見を出して整理しておく。そうすると、偏りかけたら別の意見を出してみたりがやりやすいかも。
―進行役が何かの意見をもっていると、たとえば、学校に対してマイナスイメージを進行役がもっていると、場の流れもそちらの方向に向きがち。
―進行役の思いは消すことはなくて、進行役としての意見と、自分の意見はわけた方がよくて、それが一緒になると、偏りがあったり、思想が入ったりする進行になってしまう。それが参加者に明確にわかれば意見をいうことは悪いことではない。それをわかりやすくするのは、たとえばぬいぐるみとかを持ってきて、自分の意見をいうときはそのぬいぐるみをもって話すとかすると、わかりやすいかな。
―Mさんから途中で自分の意見を頑なに話したときがあった。そのときに自分はそうではないと思う意見を言ったのだけど、いつもは意見を場に出すんだけど、そのときはMさんに向けて話してしまった。
―参加者が進行役にアドバイスするという場が2回ほどあった。哲学相談ならいいんだけど、Mさんが説き伏せられる理由はない。特定の参加者を説き伏せるような発言がでてきた場合は、その人に向かって話すのではなく、場に向かっての話をするように促す必要があるかも。場合によってはその人にとっては安全ではない場ができる。そういう説き伏せるような話をしはじめた人がいると、その人にその意見は本当なの?とわからせるための「問い」を投げられるとよいのかも。余計なお世話のアドバイスをはねかえすだけの問い。
―これまで質問が重要だと思って質問するようにしてたんだけど、以前参加した哲学カフェで質問ばっかりで自分の意見を言わないという指摘があって、質問をあまりしなくなった。質問をぶつけた方がいいのか、自分の意見を展開した方がいいのかわからなくなってきている。
―進行役が質問をたくさんする人だと、場の人には意見を展開してほしいかもしれない。進行役の好みの問題がある。
というところで、時間がきて終了です。
メタ対話の中で見えてきたのは、
〇自分の言いたい意見が言えたり、違う話が聞けて満足できるコミュニティと、
〇同じ「問い」を共有しながらそれについて共に考える「探求の共同体」
の二種類の場の在り方。
両者はきっぱりと線引きができるものでもなく、
前者のなかにも後者の要素が入り込んでくる瞬間もある。
でも、たくさんの意見が乱立すると、往々にして方向を見失いがち。
後者を生むためには、考える「時間」と、それを引き出すための「問い」も必要。
「楽しい」「らしい」「ふるまう」といった、
当たり前と思っている「言葉」の前提を問い直すことで、
場の向かっている「方向」の先を照らす灯台のようなものが、
靄のなかにでもかすかに見えてくるのではないか。
といったことを少しばかり見えてきたような気がしました。
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さて、次は「当事者研究を考える」です!
哲学対話とメタ対話が充実していて、すでに時間を使い切ってしまいましたが、
どうしても早く帰らないといけない人もいなさそうなので、
時間を延長して、「当事者研究」もやることになりました。
まずは、今日研究してもらいたい困り事がある人に困り事を挙げてもらいます。
みんな当事者研究ははじめてなので、どんな困り事を挙げればよくわからない様子。
―読み切れないのに本を買いすぎる。
―時間を気にする私って??
―ラインで意見を聞いてもらうにはどうすれば?
―動画を撮りたいけどまとまらない。
どれにするかを決める前に、
当事者研究の理念を志帆さんがわかりやすく例を出しながら説明します。
・自分自身で、共に
・「弱さ」の情報公開
・経験は宝
・病気は“治す”よりも“活かす”
・「笑い」の力 ーユーモアの大切さー
・いつでも、どこでも、いつまでも
・自分の苦労をみんなの苦労に
・前向きな無力
・「見つめる」から「眺める」へ
・言葉を変える。振る舞いを変える
・研究は頭でしない。身体でする
・自分を助ける。仲間を助ける
・初心対等・主観、反転、“非”常識
・「人」と「こと(問題)」をわける
・「受動」から「能動」へ
今回は「動画を撮りたいけどまとまらない」を取り上げることになりました。
志帆さんや参加者から次々と問いが投げられ、
だんだんと問題の所在が絞られていきます。
Q それは普段もそうなのか?たとえばどんなときにありますか?
Q まとまらないってどういう状態ですか?
Q 主張を支える言葉がまとまらない?
Q 意見がまとまらないじゃなくて、表現する言葉がまとまらない?
Q 言いたいことがわからない?
Q そうしたことは普段でもありますか?
―普段もしっちゃかめっちゃかになることが多い。そもそもなかなか整理できない。―よっぽど目的がはっきりしているときはしっちゃかめっちゃかにならない。こういう方向性くらいの、、、というくらいで何かをやるとまとまらない。
―ちゃんと整理できて、段取りできて、リズミカルにゴールに行きたい。
Q 整理ができないのって何でだろう?という問いが場のみんなにも投げられます。
―決められないからかな。どこに置くか、何が必要かを決められなくて、あれもこれも大事ってなっちゃう。
―決められるようになってわかったのは、お別れが寂しかったから。別れてみたら物事がスムーズに進む。
―整理ができるようになったら大事なものが際立ってモヤモヤが減った。
―自分に大事なものというより、人が大事だと評価しているもの(ブランドものとか、人が勧める本とか)をたくさん持ってた。
Q そういう状態のときは何が起こっていると思いますか? 何かが来ているときにそういう状況になっているとすると、そこに来ているのは誰でしょう。目的がはっきりしているとこいつは出てこない。目的がはっきりしていない時とかにこいつが出てくる。こいつがいないと整理ができて、段取りができて、リズミカルにゴールに行けると思ってる。でも、こいつがいるとできなくなる。こいつは誰だ?
ということで、「こいつ」=「お客さん」にみんなで名前をつけていきます。
・行き当たりばったり
・判断力吸い取り魔人
・可能星人
・ドリーム魔人
・夢の上書き魔人
.....これから、、、、、これをヒントに研究はまだまだ続けていける、、、、
といったところで、
会場を出ないといけない時間が来たので、ここで本当に終了です。
4時間を超える濃密な考える時間に、
途中、持ち寄ったお菓子やパンで糖分を補給をしながらも、
みんなはすでに頭がパンク状態となっていました....
ご参加いただいたみなさま、ありがとうございました。
次回実践WSは7月16日(火)の予定です。
次回も、
1)希望者の進行役によりる哲学対話
2)メタ哲学対話
3)当事者研究を考える(2)
の三本立てです。
進行役ご希望の方は7月13日(土)までに、
対話したいテーマをお知らせください。
希望者が多数いた場合は、テーマによって考えます。
みなさまのご参加、お待ちしております。
by inutetsu
| 2019-06-20 15:39
| 「こども哲学」進行役 実践WS