哲学対話を通して創る未来の運動会 実践編9月
2020年 09月 25日
犬てつ・哲学対話を通して創る未来の運動会 実践編9月
2020年9月21日(月・祝)
楽田ふれあいセンター
進行役:安本志帆さん
対面&オンライン混在型を試してみる
6回連続プログラムの第一回目を開催しました!
コロナ禍の影響もあり延期していた対面での開催ですが、無事、第一回目を迎えました。
進行役の志帆さんは移動のリスクも考えて、9月、10月はオンラインで参加してもらうことになりました。
進行役がオンライン、参加者が対面というはじめてのチャレンジです。
8月末に一度スタッフで機材や通信環境のテストを行ってみました。
集音機能が優れているということで、iphoneをマイクとして使います。
iphoneを手にもって回すやり方が一番うまく音を拾いますが、感染のことを考えると持ち回りはあまりよくなさそう。
でも、机の上に設置してしまうと、会場が多目的ホールという大きな体育館のような場所のため、声が拡散する上に、マスクをしての対話ということもあり、マイクがうまく音をひろってくれず、なかなかスムーズには聞き取れません。
アンプや手持ちマイクを使っての実験もしますが、部屋のなかでは大きな音になっても、それがインターネットを通じてとなると、あまり効果は感じられず、かえって聴き取りづらさが増すばかり。しかもWi-Fiが思ったようにはつながらず、通信もとぎれとぎれという散々な結果でした。
これはトラブルが生じるリスクが大きいということで、当日は進行役は現場で一人別につけて、志帆さんには要所要所で発言や補助をしてもらうというやり方がよいかという話も挙がりました。
ですが、機器に強いスタッフの山ちゃんが調べを進め、ヤマハのマイクスピーカーシステムを使うとなんとかうまく行くのではないかというアイディアを出してくれ、それをレンタルして試してみることに。
さらに、音の拡散が小さいようにと、会場も多目的ホールから和室に変更し、当日を迎えることになりました。当日は早目にスタッフが集合してセッティングを行います。
参加者の距離を保つため、机を離して二列並べます。
それぞれの列からPC上の志帆さんの顔が見え、志帆さんにも参加者全員の顔が見えるように、対面にPCとカメラを一台づつ、計二台設置します。
二列の机に挟まれた真ん中に二連結スピーカーを設置しました。
レンタルした甲斐もあって、ズームでつないだ志帆さんから出た第一声はとてもクリアに響きました!
そして、こちらからの声も問題なく志帆さんに聞こえているとのこと。
途中、カメラの一台が駆動しっぱなしに堪えられずオーバーヒートして画面が固まるということが数回ありましたが、それ以外の問題はあまりおこらず、進行もスムーズに進みました!
プロジェクト会議
ホッと胸をなでおろしてはじまった対話です。
今回もまずは質問ゲームから。志帆さんが食べたいものを質問し、Yes Noの返答を聞いて答えを当てるクイズです。
お菓子? 中華? 丸い? 動物系? パン粉を使う? 大根おろしに合う? 塩コショウする? タレにつける? など焦点が絞られてきますが、答える段になって、何人かの念頭にあった「ステーキ」は、違う、との答え。結果、誰も当てることができず時間切れ。「焼肉」が正解でした。
この質問ゲームはみんな大好き。楽しみながら相手の話から問いを考え、返ってきた返事から相手の心のなかにあるものを想像する。とてもいい頭の準備体操になります。
さて本題の「未来の運動会プロジェクト」。
まずは、前回オンラインで話した内容を振り返り、初参加のこどもたちとも共有します。
Q 運動会ってどんなもの?
・運動会は自分にとっては、得意不得意に関係なくやらされる場。
・一年でこれだけできるようになりましたということを誰かに見てもらう機会。
・身体と心が鍛えられる。
・身体だけでなく、予想したり頭も使う。
・負けると悔しい気持ちが出て、次は勝つために頑張ろうと思える。
・体育の大きいバージョン。
Q じゃあ、「未来」の運動会ってどんなもの?
・今の運動会は身体の筋肉だけを使うけど、未来の運動会は頭も使う。
・身体の全部を使う。
・2位の子が一位になるのと、29位の子が28位になるのとは違うのかな?
・それって1位が重要だから? 勝つってことが重要なのかな?
・頭を使う競技がやりたい。
・勝ち負けじゃない楽しさを目指してもいいんじゃないか?
Q 勝つこと以外の楽しさにはどんなことがあるんだろう?
・自分の精一杯を出したとき。
Q その精一杯は何のために出すんだろう?
この問いに少し考えて、「勝つため....」という言葉が出ると、思わず本人からも周りからも笑いがもれます。あれ? 勝つこと以外の楽しさの話だったんじゃないの? 結局勝つために頑張ってるの?
その子はもう少し考えてこう言葉を継ぎます。
・自分の限界を知るため。
Q 自分の限界を知るのは楽しいこと?
という問いにその子は「わからん」と言いました。別の子が話を継ぎます。
・人に限界はない。気分によって限界は変わるものだから。
・自分の持っているものを全力に出したときが楽しいんじゃないかな。
それに対し、志帆さんは少し首をひねりながらこう問いかけます。
Q 限界を知ることが、勝つこと以外に楽しくなる要素っていうことが挙がってきたけど、これって勝つことに関係ないことかな? 限界ぎりぎりまでって何のためにやってるんだろう? 楽しむため?
・徒競走でたとえば去年より早くなったとしたら、去年の自分に勝ったと言えるんだけど、そのときの喜びと、今の他の人に勝った喜びは同じなんだろうか?
・自分の能力を高めることはいろんなところで使う。走りが早くなったら鬼ごっこに強くなる。泳ぎがうまくなると深いところに潜れるようになる。
Q それって何のために能力を高めるの? 勝つためではないの?
・勝つというか、楽しみでやってる。
・そうやって能力を高めてリレー選手とかに選ばれると、足が速いことが認められることになる。
Q でも、いくら自分に勝って去年の自分より速くなっても、人との闘いで負けて認められなかったとしたら、自分の恥ずかしさをやっぱりさらけだすことになるよね?
・楽しくなくて悔しいから選ばれるようになろうと思う。
Q 悔しいから次も頑張ろうという気持ちは、今の運動会では意味があるような気がするけど、それは未来の運動会を創る上でも大事な要素だと思いますか? それともそこはいらないと思いますか?
・ずっと足が遅かったので、そこで勝とうとは思ってなくて、みんなでやる競技の組体操とかで、人を支え切ったという達成感とかがあった。組体操とかは勝ち負けに関係ないかな。
・学校の運動会だと、能力が同じくらいの人と走ることになってる。
・でも、能力別に分けるときにわざと力を出さないでおいて、能力の低いグループに分けられて本番で思いっきり力を出して一番をとろうとする子が出て来る。
・小さい子とペアになってやる競技もある。一人の能力だけでなく、息が合うとかが大事になってくる。遅い人と遅い人の組の方が、速い人と遅い人の組より速いかも。
・でも、速い子が遅い子にあわせるとうまくいくかもしれないから、戦略として考えることもできる。
今まで個人でやる競技の話がでていましたが、みんなでやる競技の楽しさについての視点が加わり始めます。さらにこんな斬新な意見も。
・どれだけ華麗に負けられるかを競う競技とかだとどうかな?
この話を受けて、志帆さんがこれまでにやって面白かった運動会の写真をいくつか見せてくれることに。
一つ目が「イモムシラグビー」。
寝転がって下半身を使えないように布で巻き、手だけで這いながら競技をしている写真です。
「この競技で一番強い人はどんな人でしょう?」という問いに、「腹筋で進む距離が大きいから身体が大きい人」「運動をやってる人」「手が長い人」「小さい人」「軽くて腹筋がある人」といった答えがいくつか挙がりますが、どれも正解ではないらしいです。
そこに、「車いすの人!」という声が挙がって、それが正解とのことでした。
二つ目は「100㎝走」。
どれだけ長い時間走っていられるかを競うのだそうですが、「え?それってつまりどういうこと?」と立ち上がって自分で実際に片足でどれだけ立っていられるかをやってみたり、次の足をどこに置けば長くその100㎝=1mという短い距離を走れるかを実際にやってみながら考えてみたり。
三つ目は「イタイッス」という、椅子のまわりを小さい突起が取り囲み、足つぼを刺激される痛みに耐えながら行う椅子取りゲーム。
志帆さんがこのゲームをやった感想は、自分でも勝つかもしれないと思えるからとても楽しかったのだそう。
今までに見たこともやったこともないような競技を見ることで、今まで学校の運動会の競技くらいしか思い浮かべることのできなかったこどもも大人も、頭が少しほぐれてきた模様。もう一度考えを深めていきます。
Q どんな競技だとみんなが楽しめるかな?
・思いもよらない人が勝ったり、誰が勝つかわかんない競技だといいかも。
・やっぱり勝つことを目指した方が面白さが出てくるかな?
Q いつも勝ってる子が勝てない可能性がある競技は、いつも勝ってる子はどう思う?
・別に自分が勝てなくてもいいかな。
・イモムシラグビーとかの方が今より楽しいと思える。
Q たとえば、こういう誰が勝つのかわからない競技を作ったとして、面白くないと思う人が出てくる可能性はあるのかな?
・家族とかに自分がカッコいいところを見せたいと思っている子にとっては嫌かも。
この問いは、去年犬てつでも話しをしてきた、誰かにとっていいと思えることは、誰かにとては良くないかもしれない。みんなって誰のこと?という問いにもダイレクトにつながるような問題です。「みんな」が楽しめる競技ってあるのだろうか? 志帆さんはそこのところをみんなにもう一度問いかけます。
Q これって去年犬てつでやった、ルールを決めてもそこから漏れる人は必ずいて、この人にとってはいいと思っても、別の人にとっては良くないっていうことを考えて答えがでなかった話にもつながるよね。一年に一度、運動会は自分のかっこよさを披露する場だったとしたら、それを見せられる機会が減るから、それをつまんないなと思う人はいそうだよね。だから誰にとって楽しいのかなということを考えないといけないかなと思うのだけど、その辺はどう思う?
・やりたくない競技はやらなくてよくて、自分がやりたいと思える競技をやればいい。はじめに細かいプログラムを作って、やりたい競技を選べるようにして、もしやりたいのがなければやりたい競技を作ればいいんじゃないかな。そうして、一番最後に自分が考えた競技発表会をやるとか。
Q でも、たとえば競争したいと思ってやりたい競技を選んでも、その競技に人が集まらなくて一人だけで競争できなかったらどうする?
・競技ができなくても、無理やりやりたくない競技に出るのはよくないから、まず参加者にどういう競技をやりたいか聞いておいて、みんながやりたいと思わない競技はナシにしておく。みんながやりたいものを選んだり、創ったりする。
志帆さんはそれにこう言葉を補います。
「そのためには参加者として誰が来るかがわかってる必要があるよね。やりたいことについてのある程度の合意があれば、やりたくない競技は自動的に減っていくんじゃないかな、という話だね。未来の運動会は全国各地でいろいろやられていて、その要素の一つとして、参加者を最初に決めるというのがあるんだけど、たとえば目の見えない人がいたり、足の悪い人が参加者にいるということが最初からわかっていれば、そうした人も参加できる競技を考えることができるよね。」
そこにまたこんなアイディアも。
・文だとよくわからないので画像で説明した方がいいと思う。
これもお客さんを迎えるときに考えておく必要がある大事な心構え。
運動会の大きな要素として観客も楽しめるもの、という話がここでもまた出てきました。
Q 未来の運動会をするときに、こんな要素があるといいかとか、他に何か案がありますか?
・どの競技が一番面白かったかを競うのもあり。で、面白かった競技を次のときにやるとか。
・やって楽しかったのと、見てて楽しかったのと二つがあるといい。
・お店でたとえたら、どんなにすごい料理を作っても客がいないと意味がない。一つでも欠けると全部が崩れる。
そのときこんな問いが出てきます。
「オンラインで運動会はできるのかな?」
その問いを受けて、志帆さんはオンラインで行った運動会の様子のビデオも見せてくれました。
このビデオは志帆さんも私も今年のゴールデンウィークに参加した、山口情報芸術センターが主催で、急遽オンラインで行われることになった未来の運動会をまとめたもの。
この運動会では、競技はそれぞれの自宅などで一人づつ別々に行いましたが、一緒にやっているという運動会の場の臨場感を生むために、オンラインの共有の画面上に付箋状のメタ身体を置き、チームでの整列や入場行進を行いました。
この映像を見て、こどもからこんな感想が。
・やろうと思えばどんな所でも身体を動かすことができる。
Q その身体はリアルな身体?
・本物の身体を使って、それを映して見せれば運動会ができる。
・私はこのビデオを見て、面白かったと言えば面白かったけど、自分としてはあんまり楽しそうではなくて、それですごくわくわくする感じにはならなかった。どっちかというとイモムシラグビーの方が面白そうだった。
・このオンライン運動会をやっているところを横から見てたんだけど、誰が一番大きい声を出せるかっていう競技をやってて、ズームって声が割れるとかがあるけど、ズームの機能の特性を考えながら競技したりすると面白いんじゃないかと思った。
・球入れみたいな移動する競技や、ボールを使う競技みたいなのはオンラインではできなさそう。なんか組み合わせたりできないかな?
ここまで話してきたところで、時間も終わりに近づいてきたので志帆さんがこれまでに話に出てきた未来の運動会の要素をまとめます。
どうやらこんなことが重要な要素になりそうです。
・メンバーは誰か。誰が参加するか。(たとえば車いすの人が参加するということがはじめからわかっていれば、その人も参加できて楽しめる競技を準備しておく必要があるね。)
・競技している人だけじゃなくて、見ている人も楽しめる競技が必要なんじゃないか。
・身体は本物の身体か、メタ身体を使うのか。(コロナの情勢がどうなるかわからない現状で、オンラインで開催する可能性についても考えておかないといけないね。)
・テクノロジーの力を使うとやれることが増えるんじゃないか。
こうした条件を加味しながら、実際にどんな競技を創ることができるかを、次回以降も続けて考えていきたいと思います。
今回は哲学対話的な話し合いの場を設けつつも、これまでやってきた哲学対話とはまた違った、「プロジェクト会議」的な進行の仕方で話が進められました。
哲学対話では対話を深く掘り下げていく方向をとりますが、今年度は実際に「未来の運動会を創る」というプロジェクトのゴールがあるため、深く掘るというよりは、先に向かって進んでいくという方法をとっています。
考えを実装するためにはどうすればよいか。深く掘っていくことによって根本を問い直しつつも、そこから具体的な何かを生み出していくには、そこには何が必要かということを積み上げて考えていくプロセスが必要です。
でも、いつもとは違った感じにもみんなそれほど戸惑うことはない様子。
はじめての参加者にとっては、思考のペースがちょっと速かったかもしれませんが、一から競技を作りあげるというスタート地点は一緒です。今回の振り返りとブレインストーミングを経て、実際の未来の運動会の競技づくりに向けて、一緒に考え、頭も身体も使いながら、試行錯誤していきましょう。
どんな未来の運動会ができあがるか、ますます楽しみになってきました!
ご参加いただいたみなさま、ありがとうございました。
(犬てつ・ミナタニアキ)
by inutetsu
| 2020-09-25 16:37
| 哲学対話を通して創る「未来の運動会」